発言歪曲

わたしもちょっとネタにした斎藤貴男先生の手法について、愛・蔵太様のコメント欄が盛り上がってます。コメント欄で交わされてる話題には立ち入りませんが、インタビュー内容の歪曲(疑惑)に関連して、山田風太郎先生のエッセイにこんなのがあるのでご紹介。

死言状 (角川文庫)

死言状 (角川文庫)

ときどき電話アンケートというものがある。これが当方の意見通りに受けとられたためしがない。
このあいだもある女性週刊誌から、夫の出勤後を狙ったサギ漢が、「ちかくで社長の車が故障したから」と称して百数十人の夫人から修繕費をまきあげたという事件についてどう思うか、ときいてきた。
「そんことは人生にそうたくさんあることじゃない。百のうち一つだまされたからといって、九十九疑うような女性になって欲しくない。そのサギにかかった女性たちの善意はむしろ敬愛すべきものとかんがえる」
と答えた。われながら穏当な意見だと思う。すると雑誌には、
「女性は百のうち九十九までだまされるばかな生物でアル」
と出た。これじゃだいいち論理が通らない。
それからある週刊誌で「黒沢明論」をやるからといって、これは直接意見をききに来た。じぶんのことについてのインタービューなら大きらいだが、ひとをほめることなら結構だと思って、黒沢明監督を大いに称揚した。
すると突然、山田風太郎とくらべてどうです」という。私は苦笑して、「それは黒沢さんを太陽とするなら、僕など蝿の頭みたいなものです」といった。
こんどは「じゃ池田首相とはどうです」ばかなことをきくものだと思いながら「そりゃ蝿の頭にくっついたクソみたいなものでしょうな」と答えた。
むろん本論とは何の関係もない冗談である。
ところがその週刊誌に出た記事をみると、「黒沢は太陽、池田首相は蝿の頭のクソ」と出ている。その間に山田風太郎がはさまっていたことなど一行も書いてない。
するとまたべつの週刊誌がこの記事を見てやって来て「あれは池田首相が税務署の親玉だからか」という。私はしからざるむねを答え、「そんな冗談は、言葉のはずみでだれだっていうじゃないですか」といった。
「しかし、一国の首相を蝿の頭と呼んで、名誉キソン罪で告訴されたらどうします」
「そうテキがおいでになるなら、こっちにもいい分がある」
というわけで、私は例の――政界の実力者たちが膨大な献金を私用につかいながら、税金の方は失笑したくなるほどの過少申告でまかり通っている――国民の大半が抱いている疑問についてのべた。そして――
「政治家が多額の費用を必要とすることは認める。しかし収入があったら何につかおうと国民と平等の税率で納税しなければ、徴税感覚というものがヘンになりやしないか」
といった。ずいぶん低姿勢でいったつもりである。
しかるに雑誌には「山田風太郎氏大いにイカる!」「池田首相を蝿の頭をキメつける!」とますます大きな活字でやられている。その由来についての私の説明など、ぜんぜんきいてくれていない。まったくもてあました。
つくづくとインタービューにはコリた。私に悪意のない記事にしてしかりである。政治家がうなぎみたいにヌラリクラリした答弁をやる理由もよくわかった。
私はいろいろな事件で、新聞記事だけでたちどころに批判を下す評論家たちの度胸に感服する。もっとも彼らの意見も、この手でやられているのかもしれない。
(「死言状」角川文庫 所収「インタービュー」 「そんことは」は原文ママ

こういうのを読むと、新聞とかにトンチンカンなコメントを寄せて叩かれたりする「識者」の先生方もある意味被害者だったのかもと思えるな。
答えなきゃいいとはいっても、意見を求められて拒否するのもなかなかむずかしいでしょうしね。
まあ、批判するなら誰もが確認できる本人のテキストに基づいた方が無難ということですな。